将来に悩む学生へ

将来に悩む学生へ:未来はこれから、まだまだ道半ば — 普通の学生である私が、他の学生さんが抱える悩みや不安を低減する方法を模索します —

今、できること

■はじめに —とある学生さんの話—

他の方の進路の一助になることを思って、いろいろなことを書こうと思って始めたものの、結局自分の進路のことに手一杯になって、何かと文章が書けていません。しかし、先日思わぬところで、他の人の役に立つことができたかなと思うことがあります。その出来事を紹介するとともに、今、私が考えることを書いてみます。

 

縁あって私が知り合った大学2年生の学生さんは、今年の10月から外国に留学に行く予定でした。その学生さんは、学びたいことを定めており、目標を持って海外で学びを深めようとしています。

また、「大学2年」という価値の高さとその時間の重さを実感している人で、かけがえのない経験を得ようと志している学生さんです。「学生にしかできない経験」というと聞こえがよく、往々にしてさまざまな想像ができますが、この学生さんの言う「学生にしかできない経験」というのは、広く一般的に言われる「学生にしかできない経験」と違うと思ったのです。端的に言えば、ただ浮ついているだけではないな、と思いました。 


■学生にしかできない経験

学生時代には、遊びもよし、お金を稼ぐこともよし、そう思っています。全く否定しません ——大学合格までは一切遊ぶことが許されることはなかった、経済的理由により隙間時間を縫うようにバイトする必要がある—— いろいろあると思います。
どんな背景があるかわからない限り、少なくとも「学生にしかできない経験」と言って、他の人から見たら浮ついている行動をしていても、その人の時間の使い方を非難するようなことはできません。

しかし、すでに18や20歳から働いている方からは「遊ぶことができて気楽だな」「そんなにバイトするくらいだったら大学行かなきゃいいのに」という意見もあるかもしれません。

正直なところ、ごもっともで、もしかしたら私も「何のために大学に行っているのだろう?」と思う学生さんに出会うこともあるかもしれません。「大学は人生の夏休み」「就職予備校」と揶揄されるのも仕方のない現状だと思います。しかし、その夏休みや予備校も「学生にしかできない経験」であり、すなわち「(大)学生に与えられた特権」なのだと思えている人も少なくないのでしょう(うまいことを言うつもりはありませんが、夏のあとは秋冬と寒い季節が続きますよ...... あんまり夏を謳歌したくないですね)。

 

私は、修士2年生になりますが、学部生(大学1-4年生)時代がどうだったかと言われると、比較的勉強に勤しんでいたと思います。サークル活動やアルバイトに時間を費やす(or しすぎる)こともなく、大学1-4年生の間はひたすら勉強していたと自負します。

なぜこう言うことを言うのかというと…… やっぱり時間の使い方がもったいないと感じる人の話をよく聞くようになったと思うからです。よく言う「大学生は遊んでいるだけ」と思うことが多くなったのです。

  1. 交友関係について —サークル活動の意義!?—
    私は部活もしていましたし、アルバイトもずっとしています。友人関係にも恵まれ、先に社会に出た友人ばかりですが、変わらず今でも交友があり、彼らに精神的に支えてもらえる場面もあります。

    つまり、「ひたすら勉強をしていた」と私が言うわりには、それほど寂しくない、ということを主張しています。

    ひたすら勉強をしていたと言うわりには、私はそれほど優秀ではありません。また、数十人数百人と友達(=知り合い?)がいるかと聞かれたら首を縦に振ることはありません。

    ただ、負け惜しみでもなく、そんなに友人はいらないでしょう…… 
    「いる/いらない」の話の前に、それだけ友人がいたら、友人に2段階以上の順位付けをしなくてはならない気がしてなりません。いよいよ疲れると思います。
    なんというか、友人こそ「量より質」だと思います。

    進路とかそれ以前に、目先の人間関係に悩んでいる方がいたら参考にしてください。そんなに無理して友人の数は必要ありません。「友人」に限らず、なんなら「大学」に限らず、真面目にやっていればそのひたむきな姿勢を評価してくれる人が必ずいるはずです。


    いえ、一切否定や反論するつもりもありませんし、どこかで(サークル活動とかを)羨ましいと思っている私だから正直に書くことができると思っていますし、どこかで自分を正当化したいだけかもしれませんが、やっぱり学生の本分は勉学だと思います。

    「人間関係も大切だよ〜」とか「大学に来たら友達たくさん作らなきゃ」みたいなことを言うことは一向に構いません。ただ、それこそ事情がある人たちを考慮すべきでしょう。奨学金を借りねば通学できない学生に「お前は学生生活、損してる」みたいな言い方をしている人はいないでしょうか? 
    そう言う人だけは気をつけたいですね(そういう人には寄らない/そういことは言わない)。楽しい学生生活の象徴として大学が描かれるのは結構ですが、変な幻想を次の世代に残さないこと、その幻想で得た「自分の(価値観に基づいた)幸せ」を他人に押し付けないこと、それくらいは意識したいです。

  2. お金の稼ぎ方 —本末転倒を避ける—

    私は、うまくやりくりして、安い学費で学士を取りました。胸を張って大学生と肩を並べることはできませんが、彼らに負けないようにと上述したように懸命に勉強してきたつもりです。
    聞こえはいいことを言いますが、「学費が安かったからこそ、アルバイトの時間を減らすことができ、勉強することができました」。
    したがって、「アルバイトばかりしないで、学費を安くする方法があるから、それを活用して勉強する時間を増やせ」と言いたいわけではありません。

    そうではなく「学費を支弁すること」に囚われて、いつの間にか「お金を稼ぐこと」が目的となり、「何のために学費を払って学校に行くのか」を見失っては意味がない、ことを主張したいです。

    大学生くらいになると、働き方によっては良く稼ぐことができると思います。大学によるでしょうが、学費を払うには十分かもしれません。家庭の事情まで全てを把握することは私には難しいですが、たくさん稼いで自ら大学に通うことを親孝行と呼ぶのは少し難しい話です。

    一応、経済的に困窮している学生には支援をする助成制度は存在します。貸与型の奨学金なら、ほとんどの学生が使うことができると思います。優れた成績を残せばさらに優れた助成を受ける可能性が高まります。

    それを「一か八か」と呼ぶなら、時間を切り詰めてまで、大学の講義の出欠や受講に制限を出してまで、アルバイトをすることこそ「一か八か」のギャンブルでしかありません。

    そもそも大学に来ている意味? とか第三者に言われることもあるかもしれませんが、将来ちゃんとした企業に就職するためと考えている人も少なくないと思います。それはとても立派なことだと私は思っています。でも、その企業に就職するためには、一応大学での授業に対して真面目に成績を残しておいた方が良いです。

 

サークル活動もアルバイトも決して否定しません。むしろ私は今でも羨ましいとさえ思います。とっても素敵なことですし、学生時代にしかできないことだと思います。俗に言う「コミュ力」も磨けるでしょうから、得することは多いでしょう。

ただ、せっかく受験勉強をして入った大学。「入ったところ」をゴールにして、「あとは遊ぶ」「社会人になる前の最後の娯楽」みたいな過ごし方をするのは、なかなか興味深いです。揶揄されても仕方ありません。

また、いずれにしても「やりすぎ」は注意だと思います。お金があるなら遊んでもいいかもしれませんが、その時間の2割くらいは勉強してもいいと思います。お金がないならバイトすべきでしょうが、そもそも高校から大学に入る前に試算しておきたいところです。体を酷使してまで学位を取りたいのなら、その前に自分の心身のためにあらゆる手段を探すべきです。酷使をしない方法を探す努力をしたいところです。

 

■計画が上手くいかないことを「悔しい」と思う

さて、冒頭の学生さんの話に戻ります。

実は、その学生さんの留学の計画は、感染症の影響で、頓挫しました。

その無念な気持ちは私にも伝わりました。

その学生さんのことをよく知っているわけではないですが、目標を抱き、準備を重ねて、家族に相談をしながら、友人と別れて外国に暮らすことに覚悟をしながらも、自分の成長を期待できる舞台にワクワクしていたと思います。

大学2年生ですから、大学院に行かないのでしたら、来年には就職活動も始まるでしょう。そこに焦点を当てると、その「ネタ作り」のためにも今年中には自分を高める何かをしておきたかったでしょう。それこそ、サークル活動やアルバイトのような、普通の大学生が経験しているようなこととは異なった経験を得たかったのかもしれません。

しかし、こればかりは、この学生さんのせいでも、誰のせいでもありません。此度の感染症の蔓延は、自然災害と同じようなものだと私は思っています。なお、今回のコロナウイルスや異常気象などは人間に依拠しているものと考えることもできますが、人類が築いた文明の成り立ちの一部を誤りとするところから考える気がして、少しスケールが大きすぎるので、地震のように対処不能なものだと解釈しています(地震もいつか対処できるようになるといいですね……)。

 

実際のところ、このように此度のコロナウイルスの影響で、さまざまな計画が頓挫した学生・生徒さんは多いのではないでしょうか?

本当に悔しさを察します。

それらの計画はみなさんにとってかけがえのない経験に昇華するものだったと思います。

ここで、「あなた一人じゃないから落ち込まないで」と言いたいのではありません。強いて言うなら、ここは分岐点なのではないでしょうか?

少し無理のあるポジティブシンキングですが、「偉大な計画を潰される」という経験をしているのは、今計画をしていた皆さんだけです。企業では、「失敗や挫折から何を学ぶか/どう立ち直るか」を採用選考などで重要視している場合もあります。


たとえば、私には想像できない世界ですが、大学生のみなさんがもし今このコロナ禍で高3だったら、
・どのように大学受験に臨もうとしますか? 
・どのように勉強をしたほうが良いと「今なら」思うでしょうか?

「学校に行けない分、自宅で復習しまくる」「一度解いたことのある問題集の2週目に入る」など、「今なら」好機だと思えるくらい、他人事だと考えることはできませんか?

しばらくいじけたり落ち込んだりしてもいいので、その感情と付き合いながらこれを糧にすることができたら、いずれこの岐路はみなさんにとってかけがえのない経験になると思います。

これを糧にできるかできないか(=分岐点)が、後に響く気がするのです。

 

■おわりに —運命に耐える—

世の中がこういう局面を迎えて、1つの言葉を思い出します。


東日本大震災直後に、気仙沼市の中学校の卒業式で答辞を読んだ方の一文です。

物珍しく観る/聴くものではないため詳しく紹介しませんが、調べるとわかります。


苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、 助け合って生きていく事が、
これからのわたくしたちの使命です。

続く感染症の脅威によって、多くの思いが叶わないものになっているかもしれません。それでも今は耐えて、他の人に助けてもらいながら、そしてちょっと余裕が出てきたら他の人を助けながら、頑張っていきたいな、と私は考えます。

進路 — ドクターに進みます

私事でしかないですし、なんとも言えないですが、 博士課程に進学することにしました。

ご存知の方はご存知だと思いますが、「学振」の申請書を書いています。

書けば書くほど難しさを実感します。

特別優れているわけではないため、こういった申請書は、私みたいな普通の修士の学生が書くには難しいです。 書けば書くほど「本当に研究者になれるのだろうか」と不安を覚えます。

今、こう感じているM2の学生はいるでしょうか? きっと多いのかな、って勝手に思ってます。

感染症の拡大の影響で、少し気分が落ち込む日が続きます。 何かと、明るいことを考えていきたいですけど、 普段前向きに頑張ろうとする私でも、こうなってくると少しこたえます。

もう少し、学振執筆、頑張ります。進路

大学院に行くということ

大学院進学に関して述べられているブログをよく拝見します。 私も大学院生の1人ですから、同じようなことを思います。

いずれの方の意見もきっと正しいです。おそらくほとんどが事実でしょう。

  1. 進路 進路や将来の職種に関しては、まず分野によります。 大学院に進学するのでよく聞くのは理系、滅多に聞かないのが文系、という感じですが、まずこの二者でも進路は大きく異なるでしょう。 理系の中でも、医学、理学、工学、と大きく分かれる気がします。 私は工学が専門なのでその界隈のことしかわかりませんが、工学の中でもやはり分野でかなりわかれます。 機械系は... 情報系は... 電気系は... といった感じです。

  2. 過ごし方 肝心の大学院の過ごし方ですが、やはり分野によります。 進路のことと異なるのは、「研究室によって異なることが多い」という点だと思います。 平たく言えば、研究室の先生で変わります。 その人のテーマや流儀、考え方で全てが変わります。

詳細はまた時間がある時に書こうと思いますが、 私が言えることは1つ。

研究室は研究テーマではなく、先生の良し悪しで選ぶべきです。 よっぽど、よっぽど、強い意志と学力がないと、研究テーマで研究室を選ぶことは無謀と言わざるを得ません。

少なくとも私は、研究室を教員の人柄で選んできて、よかったと思っている人間の1人です。

進路を決めるということ

今日、すでに就職している友人と話をしました。 私自身が、今、博士(後期)課程に進むか、就職するかを悩んでおり、その話を聞いてほしくて電話しました。

私自身の話はいろいろありますが、ここでは割愛し、話題に挙がったことの1つを紹介します。

まず、私たちの周りには進学校と呼ばれるような高校に行った友人がそれぞれにいます。 僕と今日電話をした友人とは、進学校を出た人間ではないので、進学校に進んだ友人をとても尊敬しています。そして「良い大学に行くのだろうなぁ」と思います。

しかし、例えば僕の友人の「進学校に行った友人」は、「良い大学」には行けず、志望していない大学での生活で充実感を得られず、大学を卒業するために必要な分だけ大学に行かず、今はどこかで働いているようです。 その職種内容などは私が伺えたことではありませんが、その方(=以下Aさん)は、進学校に通って、大学受験に向けて勉強を頑張ったにもかかわらず、報われなかったと自分自身で思ってしまったのだと思います。高校や塾に教育費をかけて、結局何も得られずに自身に価値を感じなくなったのかもしれません。それで大学に行けなくなってしまったのかもしれません。 もちろん、今勤めているということですから、そこで、自身のやりがいを感じる何かを感じているのかもしれません。話だけ聞くとどうしてもドロップアウトしたような話に聞こえがちですが、決してそれだけではないと思います。 一方で、聞いてみると、Aさんの母親はかなりの「教育ママ」だったそうです。僕の友人が幼い頃からかなり厳しいと思っていたそうです。 それだけ勉強に対して熱意があった方なのでしょう。

ここまで聞くと、真面目に進学校での厳しい勉強に耐えていたAさんが、大学を途中でやめてしまったのは、なんだか良い想像ができません。 親の期待に応えられず... 大学に入ってからは人生が決まったように見てもらえなくなった... など、ドラマのような話を想像してしまいます。

私たちが電話で話していたことはこうです。

—大学ないし学校で人生は決まらない—

名のある大学を卒業することは、就職先の選択肢を変えるだけで、就職してからはみな同じ。 活躍できない人は活躍できない。そこに大学の名前は関係ない、ということを伺いました。

結局、何をしたいか、自分が将来どうありたいかが、最も大切です。 その次に学力や勉強などの話が来ます。 レベルが高い学校に行くのはすごいことです。それで世の中人の”なり”を計りたがりますから。 それでも、これから先、学歴だけでなく、個人をもっと見る時代が来ると私は思っています。 結局は個人を磨き、なりたい自分を描き、それに向かって歩むことが大切です。 自分が一度描いた理想の道を通れなくても、その回り道はきっと意味があるものになるはずだと思って歩みを進めるしかありません。それが、この先生きていくということです。

もし、この文章を保護者の方が読んでくださっていたら、思ってもらいたいことがあります。 子供たちは、学習の機会をくださる皆さんのことをとてもありがたく思っています。 一方で、もう少し言葉を交わしたいと思っています。でも急には無理です。今まで話してこなかったのですから、急には話せません。 でも、私たちにとっての幸せの道を考えないでほしいです。 もちろん、みなさんが私たちより歳上で、私たちより経験が豊富であることはわかります。 それでも、時代が違い、異なる家に生まれた人たちと学校で出会い、その人たちの親の年齢もまた違い、身の回りにあふれているものも、この時代にこの年齢で生きている私たちがいる。その時の”最善"の道は、常に私たちにしか見えていません。 アドバイスをくれるのは嬉しいけど、どうか決めつけないでほしい。 何があるかわからない。 逆に、あなた方が言う「幸せな道」の上に、何かあったら、私たちは誰のせいにすれば良い?

少しずつ、自立とは何かを考えてみてください。 突き放すことではなく、寄り添い続けることでもない。徐々に見守っていくことなのだと思います。 決して、保護者の2回目の人生ではない。

私たちは、悩みながらも、その悩みを糧に大人になろうとしています。

自分を表現

最近

最近、昨年の8月に亡くなった友人の家に行きました。 友人と言えるのかはわかりませんが、幼稚園から中学校まで同じ学校に通っていた子です。 中学を卒業してから一度も会うことはありませんでしたが、とても元気な人で、どうせ元気に生きていくのだろう、と思えるような人だったのを覚えています。 交通事故で亡くなりました。これからいろいろなことに楽しみがあったと思いますし、あの子の友人も、あの子と一緒に過ごす毎日を想像していたと思います。

僕は、亡くなったことを知っていながら、弔問というには遅すぎる訪問をしました。 同級生が亡くなったという事実を受け入れることができずに逃げていました。

心境

自分自身が今進路に悩んでいて、深く考えすぎてしまいがちな僕は、何のために生きていくのか、何をして生きるのかを考えていました。 どうしても自分の悩みが小さいことをわかっていながら、自分では大きく抱えてしまい、前に進めなくなっていたのを実感していました。

そこで、僕の地元に戻って、逃げていたことと向き合ってみようと思ったのです。 その1つが亡くなった友人の弔問でした。

故人の仏壇を前に親友たちに会いました。 彼ら/彼女たちこそ、親友がいなくなったこと、もう帰ってこないことをいまだに受け入れることができていませんでした。 辛い思いの最中であるはずなのに、僕に「ありがとう」と言って笑ってくれました。

結局、僕たちは生きて生きて生きていくしかないんだと思います。 「誰々の分も生きる」という言葉は、僕はよく理解していませんでしたが、今、少しだけわかる気がします。 僕も少しだけ、あの子の分も生きたいと思っています。

優れた人間などいないと思っていますが、僕は人並み以上になんでもできるということはありません。 それでも、何もできないということは決してなくて、少しでもこの世の中のために役に立てることをしたいと思っています。 自分を犠牲にすることなく、胸を張って、良い生き方を選んでいきたいです。

学生時代の不慮

きっと、学生として生きている道中で、悲しいことや辛いことがあると思うんです。 そういうのは比べるものではなく、そのときそのときで、皆さん自身の物差しでどうしても耐えられないことがあると思うんです。 しっかり落ち込んだと思ったら、どうか誰かに話してみてください。必ず皆さん自身を受け容れてくれる人や、道標となってくれる人がいます。 生きている限り、胸を張って生きましょう。どうせ僕たちは、生きていることでしか、自分を表現できないのだから。

併せて、このメッセージが、少しだけ勇気を出すのを躊躇うようになった僕の親友に届くようにと願います。

夏休みが終わり、

大人たちから言われることに対して

長期休みって、必ずしも良いものとは限らないのだなぁとたまに思います。

特に大事な学年(中3や高3)の方達は、周りの大人からいろいろ言われたり、自分自身でさまざま悩んだりしていると思います。 なかなか難しいことだらけだと思います。

その時に思いたいこと(=思ってもらいたいこと)は、「自分がどう在りたいか」だと思います。 「頭が良くなりたい」のだったらもちろん頑張って今のうちに勉強するしかないんですね。僕も勉強中です。

しかし、この場合は、「頭が良くなって、○○したい」の方が大事だと僕は思います。 そうやってどんどん繋げていってみてください。 頭が良くなりたい→良い大学に行きたい→良い企業に就職したい←なぜ?←沢山稼ぎたいから みたいな感じです。 ただ、その時に「自分がどうしているか」ではなくて「どんな自分でいるか」を併せて想像してみてください。 レベルの高い大学出身であるほど、選べる会社の幅が広がるのは間違いなく事実ですが。

心と頭の両立 と 理想

どんな人間になって、どういう知識を有して、どういった見識を持って、どこに進むかが大事です。少なくとも僕はそう信じて生きています。

極端な例ですが、 とても頭が良くて、とても良い企業に勤めていて、稼いでいる人がいて、その人がある日健康であるのにも関わらず、電車の優先席に座って他の人に席をゆずらなかったら、私は決してその人のことを尊敬することはありません。

僕は、どれだけ学力的に優秀になれるかどうかはわかりませんが、少なくとも電車で席を譲れる人になりたいです。

(非常にレベルの低い例ですが… あくまで例え話です)

こういった目標というか、理念・信念を見つけたのは、学校で勉強に勤しんでいる途中でした。簡単に言えば、「ああ、勉強だけできていてもあんまりかっこよくない」と気付きました。

心と頭の両立だと、私は思います。

理想の姿を思い描いて、進むことが重要であるということですね。

少なくとも私が伝えたいのは「勉強こそ正義」というのを理想にするのは、少し寂しいなと思います。

もちろん、学力は最大限に上げてほしいです。君自身が思い描く「良い」大学に入ってもらいたいです。

ただ、せっかくなので同時に人倫的な他の目標も見つけてほしいなと思います。 それを高校生の段階で定めることは難しいですが、自分に自信を持つのを難しいとする人の場合、自分の目標を支柱にすると良いと思います。 「自信を持て」とは言いません。ただ「理想の姿」は胸の内に持ってほしいです。

高校→大学と進学して確立してほしいこと

この間、「ビリギャル」を観ました。

ビリギャルの彼女も彼女の先生も、どちらも素敵だと思いますが、何が一番良かったのかというと、僕からすると、「彼女(主人公)が自分にとって合う先生に会えたこと」だと思います。

まぁ結局、あの先生が彼女にとって合う勉強方法を提示したので、やはり先生がすごいのかもしれませんが…

ビリでもないかもしれないですし、ギャルでもないかもしれないので、共感できる部分は少ないかもしれませんが、勉強に飽きたら観てみてください。オススメします。

僕は、Instagramに載せるような「こんな人たちと遊んでいます!」みたいな感じの人たちとは知り合いではありません(決して彼らを悪く言うつもりはありません。ただの趣味の相違です。私が”今風”でないだけです)。

海やBBQ、スキーやドライブにあまり興味もありません。一緒にいつも遊ぶ、みたいな人もいませんし、正直1人が楽です。

そんな僕でも、やはり学生時代で一番価値があることは、どんな人と出会うか、だと思います。

どんな人と出会って、何を得るかが一番価値のあることです。

人と出会うことを繰り返して、自分の考えというのが確立していきます。

人に裏切られても、若いうちはまだきっと別のチャンスがあると、若い僕らが思わないでどうする!?と思います。

私は、今度他の県に3週間滞在して、企業で実習に参加しますが、また新しい出会いがあるのが、僕は非常に楽しみです。

かなり遠回しなメッセージになりましたが、やはり高校→大学と過ごして、その間で、自分の考えをどのように確立できるかに楽しみがあります。

今できること

「学生時代にしかできないこと」?

「学生時代にしかできないこと」とかを大人や先輩に言われることはありませんか? 私も、もしかしたら後輩や、バイト先の塾の生徒さんにそういったことを言っているかもしれません。 みなさんは、そういうことを聞いて、「確かに」と心動かされたのなら、しっかりとその方の話を聞いてあげてください。 きっとその方の失敗や成功を基に、そういった話がなされているはずです。

一方で、「うっせぇな。年上ぶりやがって」みたいに思うことはありませんか? 私はあります。 なぜなら、誰も、誰かと同じ道を通ることはないからです。 同じ親に育てられた兄弟だって、同じ食べ物を食べて、同じ家で育って、同じ学校に通っても、”同じ人”になることはありません。 だから、「こういうときはこうしろよ」とか、「あぁ、私にもそういうときがあったよ」と、まるで、

あなたの人生を予測するような真似されたとしても、気にする必要はありません。
選択の連続 = 人生

私たちの人生は基本的には、選択の連続で成り立っています。 かと言って、ある種のゲームのように、どこかでセーブして間違えた選択をしたらリセットをする、というわけにもいきません。 また、誰かの人生をコピー&ペーストしたわけでもないので、自分自身の人生を歩む必要があります。 もう一度言います。基本的には、人生は選択の連続です。 誤った選択や間違った選択をすることはもちろんあります。それは誰しも心当たりがあるのではないでしょうか?

・ある日誰かに思いがけないことを言ってしまった。 ・ある時言い訳をして、やるべきことをやらずに怠けてしまった。

などなど、全て”選択”です。 その時のあなたがもしくは私が”選んだ”ことなのだと思います。

それらに後悔しているかもしれません。それは今「誤った選択・間違った選択」と呼んでいるからです。 今の自分にとってはそれらはネガティブな効果しかもたらしていないかもしれませんが、いつかはポジティブな効果をもたらすかもしれません。

だからこそ、後悔はしていいですが、決して過去の自分の選択を責めないでください。

前回の記事でも書きましたが、「過去の自分の選択」を、つまり「過去の自分があって成り立っている自分」をどうか受容してください。受け入れてください。

嫌な「選択」との付き合い方

また、「嫌な選択をせざるを得なかった」という経験はありませんか? 例えば、受験に落ちた、怪我をした、などです。 私たちが不可抗力と言ってしまいがちなことです。 もちろんそれらも選択の積み重ねで巡り合った出来事だと捉えることもできます。

しかしそうも納得できない場合は、無理矢理に感じるかもしれませんが、 その選択の出来事の上で成り立つこと一つ一つを慈しんでください。 そこで悲観的になってしまっては、不可抗力の野郎の思うツボです。 端的に言えば、「置かれた場所で咲きなさい」と言うことに似ているかもしれませんが。

結局、今できることはただ一つ。

現状を受け容れることです。今の自分をただただ受け容れることです。

時間をかけてもいいので、自分と向き合ってみてください。 内なる自分と対話をする感じです。