将来に悩む学生へ

将来に悩む学生へ:未来はこれから、まだまだ道半ば — 普通の学生である私が、他の学生さんが抱える悩みや不安を低減する方法を模索します —

今できること

「学生時代にしかできないこと」?

「学生時代にしかできないこと」とかを大人や先輩に言われることはありませんか? 私も、もしかしたら後輩や、バイト先の塾の生徒さんにそういったことを言っているかもしれません。 みなさんは、そういうことを聞いて、「確かに」と心動かされたのなら、しっかりとその方の話を聞いてあげてください。 きっとその方の失敗や成功を基に、そういった話がなされているはずです。

一方で、「うっせぇな。年上ぶりやがって」みたいに思うことはありませんか? 私はあります。 なぜなら、誰も、誰かと同じ道を通ることはないからです。 同じ親に育てられた兄弟だって、同じ食べ物を食べて、同じ家で育って、同じ学校に通っても、”同じ人”になることはありません。 だから、「こういうときはこうしろよ」とか、「あぁ、私にもそういうときがあったよ」と、まるで、

あなたの人生を予測するような真似されたとしても、気にする必要はありません。
選択の連続 = 人生

私たちの人生は基本的には、選択の連続で成り立っています。 かと言って、ある種のゲームのように、どこかでセーブして間違えた選択をしたらリセットをする、というわけにもいきません。 また、誰かの人生をコピー&ペーストしたわけでもないので、自分自身の人生を歩む必要があります。 もう一度言います。基本的には、人生は選択の連続です。 誤った選択や間違った選択をすることはもちろんあります。それは誰しも心当たりがあるのではないでしょうか?

・ある日誰かに思いがけないことを言ってしまった。 ・ある時言い訳をして、やるべきことをやらずに怠けてしまった。

などなど、全て”選択”です。 その時のあなたがもしくは私が”選んだ”ことなのだと思います。

それらに後悔しているかもしれません。それは今「誤った選択・間違った選択」と呼んでいるからです。 今の自分にとってはそれらはネガティブな効果しかもたらしていないかもしれませんが、いつかはポジティブな効果をもたらすかもしれません。

だからこそ、後悔はしていいですが、決して過去の自分の選択を責めないでください。

前回の記事でも書きましたが、「過去の自分の選択」を、つまり「過去の自分があって成り立っている自分」をどうか受容してください。受け入れてください。

嫌な「選択」との付き合い方

また、「嫌な選択をせざるを得なかった」という経験はありませんか? 例えば、受験に落ちた、怪我をした、などです。 私たちが不可抗力と言ってしまいがちなことです。 もちろんそれらも選択の積み重ねで巡り合った出来事だと捉えることもできます。

しかしそうも納得できない場合は、無理矢理に感じるかもしれませんが、 その選択の出来事の上で成り立つこと一つ一つを慈しんでください。 そこで悲観的になってしまっては、不可抗力の野郎の思うツボです。 端的に言えば、「置かれた場所で咲きなさい」と言うことに似ているかもしれませんが。

結局、今できることはただ一つ。

現状を受け容れることです。今の自分をただただ受け容れることです。

時間をかけてもいいので、自分と向き合ってみてください。 内なる自分と対話をする感じです。

はじめに|将来に悩む学生へ

ブログを設立した目的: 

他の学生さんの力になること

 

このブログを通して

私は、学校で工学を学んでいる大学院生です。

私自身も、将来について悩みながら今を生きていますが、少しだけ他の人の役に立ちたいと思えるようになってきました。

中学生や高校生、学部に在学中の大学生、専門学生や高専生、もちろん私と同じ大学院生など、年代・分野を問いません。私の話を少しでも読んでもらって、何か力になれることはないかと思っています。

力になる形としては、考えの「同意・共感」だけでなく「相違」でも構わないと思っています。「同意・共感」は自分の道の再確認に繋がりますし、「相違」もまた自身の意思の再認識に繋がります。

 

 

自己紹介

少しだけ、昔の話をします。

大学4年生の夏、何もかもうまくいかないことがありました。

突然のお別れ、信頼していた人の裏切り、試験へのストレス、学会発表の準備などからか、何もできなくなった時期がありました。

そこで私が行ったのは、とにかく自分を責めることでした。それらのできごとは全て、自分のせいだと思ったのです。

 

結果、鬱になりました。症状は軽かったとは思います。

 

そこから今に至るまでの経過は追々執筆していくとして...

恩師の一人が、私に言ってくれたことの1つに印象に残っていることがあります。

 

「君は今の君のままで十分に愛される資格がある」

 

特別優秀でない私は、とにかくがむしゃらに自分の価値を見出そうとしていました。

そんな時にかけられたこの言葉は、一瞬「君は努力しても意味がない」とも聞こえました。しかしそうではなく、今の自分の力量や能力を認識し、受容することで、まず自分が自分を愛するようになる、という話に少しずつ繋がるこの一言です。

自分を愛していない人は、おそらく他の人からも愛されません。

 

恩師からもらったこの一言によって、その瞬間から私の人生が急に明るくなったのです!・・・というわけではないですが、今、徐々に私は自分を受け入れることができてきていると思います。

 

私から

目標や夢がありながらも、なかなかその道が険しくて苦しんでいる学生さん。

学校で勉強していても、なんのために勉強しているかわからない学生さん。

進む道がわからないのに、周りからのプレッシャーが鬱陶しい学生さん。

 

どう頑張っても、未来を見通すことはできませんし、どうにもならない壁にぶつかることはあります。

 

「悪いことも良いことも起こる人生だから楽しいんだよ」なんて語るには私たちはまだ若すぎますが、悪いことがあったら心の5%くらいで落ち込んで、良いことがあったら心を120%くらい使って喜びましょう。

 

まだまだ道半ば : 一緒に頑張っていきましょう。