将来に悩む学生へ

将来に悩む学生へ:未来はこれから、まだまだ道半ば — 普通の学生である私が、他の学生さんが抱える悩みや不安を低減する方法を模索します —

進路を決めるということ

今日、すでに就職している友人と話をしました。 私自身が、今、博士(後期)課程に進むか、就職するかを悩んでおり、その話を聞いてほしくて電話しました。

私自身の話はいろいろありますが、ここでは割愛し、話題に挙がったことの1つを紹介します。

まず、私たちの周りには進学校と呼ばれるような高校に行った友人がそれぞれにいます。 僕と今日電話をした友人とは、進学校を出た人間ではないので、進学校に進んだ友人をとても尊敬しています。そして「良い大学に行くのだろうなぁ」と思います。

しかし、例えば僕の友人の「進学校に行った友人」は、「良い大学」には行けず、志望していない大学での生活で充実感を得られず、大学を卒業するために必要な分だけ大学に行かず、今はどこかで働いているようです。 その職種内容などは私が伺えたことではありませんが、その方(=以下Aさん)は、進学校に通って、大学受験に向けて勉強を頑張ったにもかかわらず、報われなかったと自分自身で思ってしまったのだと思います。高校や塾に教育費をかけて、結局何も得られずに自身に価値を感じなくなったのかもしれません。それで大学に行けなくなってしまったのかもしれません。 もちろん、今勤めているということですから、そこで、自身のやりがいを感じる何かを感じているのかもしれません。話だけ聞くとどうしてもドロップアウトしたような話に聞こえがちですが、決してそれだけではないと思います。 一方で、聞いてみると、Aさんの母親はかなりの「教育ママ」だったそうです。僕の友人が幼い頃からかなり厳しいと思っていたそうです。 それだけ勉強に対して熱意があった方なのでしょう。

ここまで聞くと、真面目に進学校での厳しい勉強に耐えていたAさんが、大学を途中でやめてしまったのは、なんだか良い想像ができません。 親の期待に応えられず... 大学に入ってからは人生が決まったように見てもらえなくなった... など、ドラマのような話を想像してしまいます。

私たちが電話で話していたことはこうです。

—大学ないし学校で人生は決まらない—

名のある大学を卒業することは、就職先の選択肢を変えるだけで、就職してからはみな同じ。 活躍できない人は活躍できない。そこに大学の名前は関係ない、ということを伺いました。

結局、何をしたいか、自分が将来どうありたいかが、最も大切です。 その次に学力や勉強などの話が来ます。 レベルが高い学校に行くのはすごいことです。それで世の中人の”なり”を計りたがりますから。 それでも、これから先、学歴だけでなく、個人をもっと見る時代が来ると私は思っています。 結局は個人を磨き、なりたい自分を描き、それに向かって歩むことが大切です。 自分が一度描いた理想の道を通れなくても、その回り道はきっと意味があるものになるはずだと思って歩みを進めるしかありません。それが、この先生きていくということです。

もし、この文章を保護者の方が読んでくださっていたら、思ってもらいたいことがあります。 子供たちは、学習の機会をくださる皆さんのことをとてもありがたく思っています。 一方で、もう少し言葉を交わしたいと思っています。でも急には無理です。今まで話してこなかったのですから、急には話せません。 でも、私たちにとっての幸せの道を考えないでほしいです。 もちろん、みなさんが私たちより歳上で、私たちより経験が豊富であることはわかります。 それでも、時代が違い、異なる家に生まれた人たちと学校で出会い、その人たちの親の年齢もまた違い、身の回りにあふれているものも、この時代にこの年齢で生きている私たちがいる。その時の”最善"の道は、常に私たちにしか見えていません。 アドバイスをくれるのは嬉しいけど、どうか決めつけないでほしい。 何があるかわからない。 逆に、あなた方が言う「幸せな道」の上に、何かあったら、私たちは誰のせいにすれば良い?

少しずつ、自立とは何かを考えてみてください。 突き放すことではなく、寄り添い続けることでもない。徐々に見守っていくことなのだと思います。 決して、保護者の2回目の人生ではない。

私たちは、悩みながらも、その悩みを糧に大人になろうとしています。