将来に悩む学生へ

将来に悩む学生へ:未来はこれから、まだまだ道半ば — 普通の学生である私が、他の学生さんが抱える悩みや不安を低減する方法を模索します —

自分を表現

最近

最近、昨年の8月に亡くなった友人の家に行きました。 友人と言えるのかはわかりませんが、幼稚園から中学校まで同じ学校に通っていた子です。 中学を卒業してから一度も会うことはありませんでしたが、とても元気な人で、どうせ元気に生きていくのだろう、と思えるような人だったのを覚えています。 交通事故で亡くなりました。これからいろいろなことに楽しみがあったと思いますし、あの子の友人も、あの子と一緒に過ごす毎日を想像していたと思います。

僕は、亡くなったことを知っていながら、弔問というには遅すぎる訪問をしました。 同級生が亡くなったという事実を受け入れることができずに逃げていました。

心境

自分自身が今進路に悩んでいて、深く考えすぎてしまいがちな僕は、何のために生きていくのか、何をして生きるのかを考えていました。 どうしても自分の悩みが小さいことをわかっていながら、自分では大きく抱えてしまい、前に進めなくなっていたのを実感していました。

そこで、僕の地元に戻って、逃げていたことと向き合ってみようと思ったのです。 その1つが亡くなった友人の弔問でした。

故人の仏壇を前に親友たちに会いました。 彼ら/彼女たちこそ、親友がいなくなったこと、もう帰ってこないことをいまだに受け入れることができていませんでした。 辛い思いの最中であるはずなのに、僕に「ありがとう」と言って笑ってくれました。

結局、僕たちは生きて生きて生きていくしかないんだと思います。 「誰々の分も生きる」という言葉は、僕はよく理解していませんでしたが、今、少しだけわかる気がします。 僕も少しだけ、あの子の分も生きたいと思っています。

優れた人間などいないと思っていますが、僕は人並み以上になんでもできるということはありません。 それでも、何もできないということは決してなくて、少しでもこの世の中のために役に立てることをしたいと思っています。 自分を犠牲にすることなく、胸を張って、良い生き方を選んでいきたいです。

学生時代の不慮

きっと、学生として生きている道中で、悲しいことや辛いことがあると思うんです。 そういうのは比べるものではなく、そのときそのときで、皆さん自身の物差しでどうしても耐えられないことがあると思うんです。 しっかり落ち込んだと思ったら、どうか誰かに話してみてください。必ず皆さん自身を受け容れてくれる人や、道標となってくれる人がいます。 生きている限り、胸を張って生きましょう。どうせ僕たちは、生きていることでしか、自分を表現できないのだから。

併せて、このメッセージが、少しだけ勇気を出すのを躊躇うようになった僕の親友に届くようにと願います。